コンピュータとはひどく相性が悪い

だから・・・ひどい危険を冒しているとは思いつつ始めることにする。


2日、朝の早い私はバチカンのニュースで法王の逝去を知った早い部類の日本人じゃないかと思う。
わかり切った事が起こったに過ぎないが・・すごい事がおきた・・と思ったのは過剰なことなのだろうか?急いでチャンネルをを回して法王の逝去を伝えるニュースを探す。。。どこもやっていない。。。何故なのだろう。。。あろうことか探し始めて初めて接するヴァチカンのニュースは、法王危篤の報だったりして、、、 お昼近くになってやっと訃報に接することになる。

日本は基本的にキリスト教とは異質な神の神の国で、もちろん多くのキリスト教徒を抱えてはいるが あくまで、独自の精神世界を背後にしたキリスト教だと思う。何故にこうもくどくどしく拘るかと言えば、良く考える前にキリスト教の教育環境に措かれた悲哀を持つからだ。。しかもプロテスタントの。。

アメリカの大統領の哀悼のコメントははっきりいって気持ちが悪かった。(新教ではないか!法王を否定して新大陸に上がった末裔の代表としてのコメント) キリストを引き裂いた最も法王から遠い者、あらゆる宗教を間に入れても遠い者が、がいち早く葬儀出席を表明したことへの不快感、アメリカのキリスト教に育てられた故に嗅ぎ分けられるこの悪臭はもう限界だ!喪に服すとは黙ることだ。そのときヴァチカンの広場を覆った静寂に思いを馳せながら。。

法王とは『神の代理人というのが一番知れた形容だろうが、私流には仲介人と形容したい。そのただ一人の仲介者が不在なのだ。圧倒的な悲哀ではないか! ひとつの精神世界の体現者の死。。。信徒ではなくともその喪失感に示せた涙に救いの尻尾が見えないだろうか。。。

これを登録してのち、修正は利くのかな。。自信ない。。。。。。。。。。。。。。 初日に書くことか?