私の南北朝鮮感

子供時代に差別という事を知らずに育った事は幸運なのだが、闘争心が無くひたすら我侭な社会不適応型超現実主義者。そんな言葉があったかどうかわからないけれど。。が此処に存在してしまった。。。ナンチャッテ。。唯どんなジャンルにも居場所が無いので作ってみたまでだ。
閑話休題。嘗て朝鮮陶磁器に関わる仕事をしたことがある。その折、無知に気づかされ、疑問を抱き、文化から民族性だとか国民性について考える機会を得た。我侭な視点からなのでと断りを入れなくては始められぬ重い話題だとの認識は持っているつもりではある。
朝鮮青磁白磁と呼ばれていた焼き物についてだが、磁器ではない。土物である。荒い赤土を整形し白化粧土を掛け透明な釉薬で焼きあげたものなのだ。木灰の成分や焼成法の違いで青磁白磁を表現したものだ。それを磁器だと言い張るにも訳がある。韓の民族は大陸のあの紫禁城の宝物にあるような薄い透き通るような 磁器への強い憧れから、これを生み出したのだから。。荒れた土しか取れないから化粧土に貴重なきめ細かい土を使う。これが独特の味わいになっていて、中国の磁器にはない独自の質感を生み出している。そこにはひとつの完成された文化が認められるわけなのだが、なぜか未だ卑屈さを捨てきれないように見えた。周りにある空気が。。。表現が微妙なのだけれど。
私はその周りにある空気にいやなものを感じる。似た卑屈という感覚を演歌や流行のハンリュウブームの中にも見出し、好きになれないのは何故なのだろう。私がオカシイノカ?未だに解らないまま反芻している。