マリアがやってくる

またダヴィンチか。上野に来る。もう公開しているのだろうか。テレビでもやってたしああまででかでかの宣伝をせずとも行列はできるだろう。混んでないと言われても、誰かが招待券くれても行かない。
修復が済んで息ができなくなったような画面を前にするとどんな素晴しい絵画でも美しいとか感じる前に悲しいような気分になる。ガラス越しより悪い。仮面のように化粧した老婦人のようで哀れに近いと思うのは少数派なのだろうか。
ファン・アイクの茶という色が修復家泣かせだという話を以前聞いたことがある。大概の絵描きが絵の堅牢度に気を配る中でこの絵描きは堅牢ということに対して無頓着であったという。後世に残す気などまるで念頭になくその時の自分に適った色彩を優先させた。
保存する。何時まで保存する心算なのか。世界遺産。人類遺産。未来何者がどんな目で眺めるのだろうか。
否定しているわけではないけれどつい心に浮かぶ悲しみが払拭できない。