あわわわ

昨日なんか書いていて眠くなったので消してしまったつもりだったものがアップしている。。。
もう考えるのもオゾマシイがついでだから。
手のひらから物を見ることができたら面白いだろうなとか胼胝と書くのだなとか何とか気を散らそうとしている。普段から散漫な人間が更に鬱陶しい痛みから逃れようと涙ぐましく気を紛らわし暮らしている様は不憫だ。
もう一つの意味に比喩的に慣れて特に感じなくなることと言うのが在るが大きな間違いだと思う。何故ならば骨を伝わって脳天まで駆け上がるこの特殊な痛みの質から慣れを甘く見るな!と言うメッセージを受け取ったように思うからだ。これも習慣病なのだろうか。。。