時雨考 きのうのこと

考えていることが風に吹き払われるように何処かへ飛んでいってしまう日々。今留め置かないと又何処かへ行ってしまう。この季節の時の風は特に。
昨日降り続く雨の中でぼんやり項を捲っていた和泉式部集下で目に留まったうたが
ひまもなくしぐれ心地はふりがたくおぼゆる物は昔なりけり  
けしからぬ方と紫式部は言ったが和泉式部は歯牙にもかけない。まるで修行僧のように言の葉を紡いで己が心を時空を超えて昇華させようとする意思のようなものさえ感じる。
和泉式部集として纏められた歌集で上記は845番であるが、一つ前、844に
船寄せん岸のしるべも知らずしてえも漕ぎ寄らぬ播磨潟かな
というのがある。播磨潟というのは、播磨の聖、今の兵庫県播州にある書写山円教寺を開いた性空を指しているのだろう。式部は生没年不詳とされるが恋人敦道親王の没年と、教化を仰いだ性空上人(917頃〜1007)の没年と合致するのが興味深い。円教寺を繰って見ると極めて繊細な美しいレースの様な古刹でいつか訪ねてみたいものだと思った。