花見

なかなか暖かくならないので待ちくたびれた所為か今年の桜は不貞腐れていじけている。様に見えて気分が沈む。それは桜の所為じゃなく、見る此方の所為なのかもしれないが、そうだとすればさらに悲しいことである。
なので別の花見の計画を序の散歩先に選んでみた。
私の生まれるはるか以前に早逝しているもう一人の祖母の話で、彼女は爺婆(じじばば)という地味な蘭を愛好していて、祖父の転勤先へはその蘭の鉢と共について歩いていたという。

爺婆とは春蘭の異称である。野生に近く早春に開花する其の花に華やかな色はない。色があっても薄い黄色か海老茶で目立たぬものがほとんどだ。にも拘らず観賞植物としての歴史は長い。
大分以前から山野草や苔、春蘭や海老根などを扱うその店を気にはしていたのだけれど何処か敷居が高かった。今日、意を決して入ってみたのだった。
春蘭はもう季節も終わりということだったがいろいろ話も聞けて楽しいかった。が思い付きで手を出すことがためらわれる深さがわかった。いったん手を出すと抜けられぬ深淵を覗いたようでもあったし、己が気力を喚起するためにより強い毒を求めるようで怖くもあった。