パウル・クレー展

アトリエの写真の中のイーゼルに三角定規が一組ぶら下がっていて、それがとても印象的で。
ほとんどの作品の中に引かれた直線は、サインとタイトルと完成の印であり、作品と決別するために引かれた結界のような気がする。
この直線は
銅版画のエッジのようでもあり、多用する油彩転写は腐食による描線に酷似している。
あらゆる技法をためしているにも拘らず、銅板作品は、初期の緻密で奇怪な作品(自画像のような)を知るばかり。何故だろうという疑問が浮かぶ。
変化するイメージを呼吸するかのように形にした作家であるクレーは、作風に縛られることを嫌ったのではないだろうか。
シーレのような。クリムトのような、臓器的作風に

今回のクレー展を見にゆくにあたって、著書『色彩論』でも読もうと思った。しかし『色彩論』はゲーテであり、クレーは『造形論』である。大きな思い違いをしていたものだと呆れてしまうのだが、クレーは造形の人だ。紙の厚さ。接着剤。微妙な紙のうねりと肌理による発色の違い、効果。。色彩論はあり得ない。

造形思考

造形思考