趣味との距離

歌を生むために恋があるような世の中に、偶に接するのは楽しいが、今一歩踏み込むと趣味じゃない世界に行ってしまうので疲れる。源氏物語に落窪とか問わず語りとか、、、これ昼メロとかハーレクイーンと変わらんじゃないか、いつも苦手意識が大きくなって挫折する。適度な距離を置くから楽しめないのじゃないかとちょっと頑張って一歩踏み込むと、やはり疲れてどうでもよくなり消滅する興味。
雅言俚語の世界を楽しむのには体力が必要だなとつくづく思い、うなだれているところ。上っ面を舐めて旨いとこだけ頂くのは後世のものの特権だぞよと言い切れれば気も楽なものを 
  
千年たっても人の本質なんて変わらない。文章家というのは優れた傍観者であろうとする精神から生まれるものなのではないか。。あそうか。。