この二日というもの必要に迫られて

 

歯を痛めて治療して、治療したところに不備があり、本日もまた出る。用が終わると降ってわいたような非日常の自由時間を与えられたように思い、ピンボールの球がはじかれたように歩き出すのである。特に歯医者からの解放は危ない。結果足の小指に豆を作り、脹脛の筋肉痛に泣くことになるのである。今日のところは小指の豆の所為もあって控えめではあったが、明日が思いやられる。

痛みや苦しみから解放されることほど幸福感を実感することはないけれど、体に治療を施すということは元に戻るということではない。『右の腕が罪を犯したなら切り捨てなさい。右手のために全てが地獄へ投げ込まれるよりましである。』その通りだと思う。そして右手なしで余生を送るのである。生きるってそおいうことなのだ。苦しみは増しても生きることを選ぶようになる。簡単に死を選ぶとは言えなくなるし言わなくなる。

ほーだな。ほー