万金膏

祖母が皹とか皸(ひびあかぎれ)に万金膏を小さくちぎって火であぶり貼っていた。
和紙に薄く真っ黒なタール状の薬剤が塗ってあり、二枚合わせになっていた。「これもう売ってないのだよ。よく効くのだけれどね。」鏡台の引き出しから大事そうに出してきて、ちっちゃくちぎって、どうやって火に煽られないようにしたのだかわからないが、火箸の先にはさみでもしたのだろう、真っ黒のタール状のものが溶けて生薬独特の香りが立ったところを見計らって指先のこれまたちっちゃな裂け目を塞ぐように貼った。一度貼ると水仕事をしてもお風呂に入っても容易には取れない。ただ白いものをいじるとき、肌着だとか本だとか、気を付けないと色が移ると注意を受けた。
手の荒れる子供であったからそれが酷い時には貼ってもらった記憶がある。面白いもので長ずるにしたがって手荒れはなくなったが、ここ数年、今頃の時期になるとまた皹皸ができるようになった。ヒビケアもそんな効かないし、バンドエイトが長持ちする場所でもない。祖母はもうないといったが。。。
浅井万金膏(あざいまんきんこう)別名相撲膏という打ち身などの湿布薬であったようだ

 1811年(文化5年):尾張国葉栗郡東浅井村(現愛知県一宮市浅井町)の森接骨院の森林平が販売開始。 1830年頃:尾張藩お抱え力士である境川浪右エ門(5代目)が森接骨院を訪れ、治療の為滞在する。完治後、大関まで昇進したことから、浅井万金膏は全国に知られる。
1997年(平成9年):製造中止。  ーウィキペディア

用途は別になるけれど、本当に具合よく効いたのである。毒草丸とか救命丸とか残っているではないか。生き残るすべはなかったのだろうかと悔やまれる。