麻疹に慄く訳

麻疹をやったのは遅かった。もしかしたらクラスで一番遅い子供であったかもしれない。小学校の五年に上がろうという春の休み中に患った。
麻疹というのは早くやってしまったほうが軽く済むとかで従妹とかが罹るとお見舞いにゆかされたりしていたがうつらず、青天の霹靂のように春まだ浅い今頃、風邪かと思ったら麻疹であった、みたいに臥せったのだった。
風邪さえめったに引いたことのない丈夫な子供にとっては重病で、夢は枯野を駆け巡る、みたいに初めて病の心細さを理解したのだった。初子であり初孫の初の大病とあって周りの気の使いようも、これは尋常じゃない事態だと思わせた節があるのだが。
麻疹というのは校医の承諾を得なければ登校をしてはならない決まりがあって、新学期に入ってからもしばらく自宅軟禁は続き、ようやっと許可が出て登校しても良い日の気まり悪かったことと言ったらなかった。なにせ上級生スタートの新学期に出遅れたのだから。
登校初日、五年生から始まる家庭科のグループ分けがあった。みんな自分の席位置が決まっており、とりあえず男子の列の末尾に席を用意してもらい、みんなのからかいも入った歓迎にいささか高揚気味でぼんやりと授業を受けていると、実習などの多い家庭科で今後卒業まで続くチーム家庭科があっさり決定してしまったのだ。列ごと。つまり男子の列の最後尾にいる私の運命がここで決まったのだった。
ワイワイ楽しそうに調理実習なんかやっている女子組は羨ましくはあったが、何をやるのも男の子たちがやってくれる楽ちんは居心地がよかった。
あのタイミングに麻疹をやらなかったら、性格も少しなんとかなったのではないか。とかおもふことはほかにも多々あるが