日曜美術館   浜田知明

本人へのインタビューであった
明晰な95歳。実にかっこいい。久々に多くの作品とともに美しい人を見た。
何かに覆われたような透明な美しさがあって、なんだろうなこれは。俗っぽい言い方は思いつくのだけれど。。同種のものを晩年の吉本隆明の映像の中にも感じた、と言えばわかるだろうか。
初年兵シリースで完璧な銅版画の技術と造形で脚光を浴び、前衛アーティストとして海外にも知名を得るも、しゃべりすぎたし、かきすぎたといって二十年沈黙した。
芸大を卒業後一兵卒として中国へ送られ苛烈な戦場を経験し、その事実を描きとめずにはいられなかったという。さめるはずもない熱を鎮めるのに、あの目を背けたくなるような戦場画描く必要があったのだろうし、癒えるために沈黙も必要であったのだろう。
その後主題を人間に移行し、「人間の真実は暗い面にあるのだろうと思っていたが、明るくくだらない面にあるのだ」といってあの独特なフォルムを持つ可笑しみのある泣きたくなるような作品を発表する。

風刺画が優れた絵画であるためには、作品の背後に作家の厳しい文明批評の目と機知、人間に対する深い愛情が流れていなければならない。画面は現代の造形として生きていなければならないし、特殊な時代層を描いても永遠の人間性に繋がるものでなければならない。
ー「よみがえる風景」ー  


専攻した油画での表現から銅版画へ移行した理由を、油絵具では自分が表現したいものが大げさになりすぎてロマン派の絵画のようになってしまう。銅は冷たい感じがして白黒がすっきりしてよいようにおもった、といっていたが、白黒の中には無限の色彩が内包されているし、言葉をも描けると思ったのではないかと 勝手に推察した