修繕と修復

一度だけ胸のすくような修復の例を見たことを思い出した。
それはもう四五年前になるが 東京国立博物館で開催された 「ボストン美術館 日本美術の至宝」で快慶作 弥勒菩薩立像(みろくぼさつりゅうぞう)を見た時のことだった。
鎌倉時代の仏像といえばほとんど化粧の剝げ落ちた仏を見慣れた身にとっては、新たに施された鍍金(技術的にそう言ってよいものなのかはわからないが)、鮮やかに塗りなおされた螺髪のラピスブルーの目にも清かなご様子に目を奪われた記憶。
仏は里帰りを喜んでおられるかのように内側からも光を放って佇んでおられた。ボストン美術館の愛情が光背の光を増していたのかもしれない

修繕と修復ともにつくろいなおすという意味だが、複には同じ道を引き返すという意味もあり、時を無視した奢りのような臭いもしたりする。
まあ年古る寺に見合う仏の姿というのもあるし、これといった正解がある問題じゃないのだけれど、あのような修復の仕方もあるってことあまり考えないみたいだね。この国は。いろいろあっていいしいろいろあるべきだとおもうのだが