六月も余すところ

六月  串田孫一

六月のねむい大気
それをいいことにして
六月の太陽は霞み
それをいいことにして
私は機嫌がよくない
きんきん鳴る野暮な耳
では遠くを見よ
今日は遠くも
六月の大気



夏の邑欝。明るさや華やかさのかげにかくれて、沈黙の夏は邑欝な想いにやつれはじめる。


彼は何故 憂鬱ではなく邑欝という文字をここで使ったのだろう。かげも かくれるも やつれるも 平仮名なのに
邑という字は、用いるにしても立心偏の付いた方しか辞書になく、忘れられた孤独の空気をまとう。
邑という文字は【くに・むら】とも読み、領地で人の屈服した様を表しているそうである。服従した人民を封じ込めた領地をくにの定義としたと解すると憂鬱という文字を使うより、より遣り切れない閉塞感を表現しているようで、追わなきゃよかったと思っているところ