帷子川

時折歩く散策コースの途中にある川の名。陰鬱な名だなと思っている・・経帷子が先ず思い浮かぶから。
多分このあたりに染物屋が多く、昔は染めた布をこの川で晒していたから付いた名ではないかと昔を知る私は思っている。かなり汚い川であったが、今は河川の汚濁に神経質な人々の手で改善され底の見える水質に変わり橋の下には巨大な黒い鯉が群れている。
何故に橋の下だけに群れているのかといえば、欄干に餌をやらないようにの注意書きの隣で大量のパンの耳を撒く人が居るためなのだと最近間近に見て納得した。群れている鯉たちは川で水草だとか昆虫などを摂って自生できないのではないだろうか。
近年池のある庭を持った家がつぶされその一軒の敷地から3・4件の家が建つ。と当然池はつぶされ景観の中で愛でられ固形の餌や麩などしか食ったことが無い観賞用に改良し続けられた彼らは自由を与えられても自分だけでは生きられないのだ。親や祖父母は美しい振袖のような華やかな柄を纏っていたであろうに魚たちはみんな柄を失って地味な墨衣を纏ったみたいだ。
愛でられることがなくなった鯉たちは、善意のパンの耳を待ちわびて橋の下にたむろして生息することになった。
川を渡る人の大半は彼らに注意の視線も向けない。小さな子供も親に手を引かれて川を覗き込むこともない。きれいになった川に芋を洗うように生息する鯉たちはどこか卑屈で凶暴な川のカラスのようだ。