虚蝉

AVRIL2009-08-17

身は空蝉の心地して
昼間の熱を放射して、篭った暑さで寝苦しく、眠れないことに焦れて、それでも何とかうとうととすると突然ドアをノックする音で飛び起きる。夜明けにはまだ早く真っ暗な夜のうちである。こんなん時間に訪れる人も無いはずで夢でも見たのだろうと無理やりのように納得をして再び浅い眠りへと帰って行く。消化不良のような朝を迎え、新聞を取るためにドアを開けると足元に蝉が息絶えて転がっていた。それからというもの毎年毎年夏も終わりですよとでも言うかのようにこんな訪問が続き、スコップで鈴蘭の株のある一角へ蝉の亡骸を埋けるのが年中行事となった。そうして晩春に咲くといわれるすすらんは夏の終わりの今頃の早朝に蝉の生まれ変わりのように咲いているという錯覚が定着して個人的な季語となる。私的今頃の早朝はキラ星のごとく鈴蘭が咲き乱れる季節である。
空蝉に蝉の悲しみ残りけり  林翔
何年もに及ぶ地中の生活を脱し、夏中思う存分鳴いて、ひとんちのドアに激突して死ぬ蝉の亡骸には痛ましさが無いように思える。。