捩花

昔、プロレタリア文学の文士たちが集まって住んでいたという一画がある太子堂の裏あたりを散策すると、小さな公園や民家の道路脇に捩花を鉢に植えたのとかよく見かけたものだから、捩花愛好家としてはこの時期、この辺りを散策するのが楽しみであった。
しかし先だって雨傘に長靴姿で赴くと。。ない。どこをどう歩き回っても見つからないのである。時期がずれたとしても枯れかけた花圃なり、これから咲く花帆なり、探すものが明確なわけだから、きっと見つかっていてもいいはずなのに、ない。 飽き、捨てられてしまったのかもしれない
見つけたとしてもさして感動する要素の少ない花である。手元において撚りを戻すように開花する段階を注視したり、微かな香りを嗅いだりして年中行事のようにウキウキそわそわしている暇人は世間一般からすれば変人なのだ。。。今年の開花祭りはもの悲しさ感が強い



 

みちのくの しのぶもじずり誰ゆえに 乱れそめにし 我ならなくに     源融





愈々こいつに憑依されたかな

うちのは隔絶された個体の所為か年々開花が遅れてきている。やっと花帆が上がり開花は七月に入ってからだろう。