夏子

私は夏生まれの癖に暑さに弱い。一ヶ月前に引いた風邪も未だ思わしくなく、これからの夏本番が思いやられる。
なつごは育たない。祖母は夏場生まれた子猫をそういってあまり構わなかった。事実暑い最中生まれた猫の子は小さく、物置の隅に置かれたダンボールの箱の中を覗くことはあまり楽しいことではなかったように記憶する。今だったら冷房の部屋に移してやるとか、猫が生き延びる為に何らかの手助けをするだろうが、そのころの冷房機は祖父の部屋だけに在り大きな唸りを上げていて、犬畜生を持ち込むなんて想定外のことだった。今の人は理解できないだろうが、人と動物の境界がはっきりしていたというか価値観がまともに存在していた時代だったといった方が良いかもしれない。
だからといって猫の命を軽く見ていたわけではない。人は自分らが守らねばならない命、生活をちゃんと自覚していて、猫も犬も今より自由で幸せな暮らしをしていたのだと思う。 其れはそんなにも昔のことではないのだ。
なつごは親猫も諦めていたように見えた。いつの間にかダンボールは箱ごと消えて、子供の私は最期の悲惨を見たことがない。
夏休みが来る。水で遊び山を登り高原で昼寝をする。衣も軽く束縛の無い特別な季節。実は沢山の悲しみの記憶を秘めている季節でもある。