年端に

日記を書いた夢を見た。なので夢をかなえるべくキーを触る。
書く場がなきゃ、もうなんか考えるのも面倒くさくなり、放棄するのが目に見えている。さすれば此の年ではありますから、ボケは加速を極め、その聖域に立てこもったあかつきには、たちまちに入定の扉を閉じて…と決まりきった末期だけは避けたい。となれば、性懲りもない年端の誓いを立てるしかなかろ。何処へ引っ越そうかな。。。


年が変わり、初詣を終え、何の気なしにつけたテレビでやっていた「新・映像の世紀」を見てしまって思った。映像が映し出す惨い戦争の記録は戦争反対の啓発のためと言いうけれど、どこか神経をブロックしなきゃ見られぬほどのものだ。何処をどうブロックするのかはわからないが、悪夢を見ずに眠るために必要な麻痺がどっかで起こってる。もしかして無関心ということとどっかでリンクしているのではないだろか。不安になる