涼を求めて

初夏の頃、目を射るような蒼い紫陽花の群れが夜叉塚を覆い隠すように咲いているのに心を奪われて、刻まれた年号を写し取る。
寛延二年己巳二月二十三日安鎮。寛延は1748年から1750年、二年というと1749年で、江戸中期の己巳の年に密教の修法によってなだめられた霊の碑ということだろうか。己巳(つちのとみ)は、十干の第六番目、十二支第六番目に位する。六という数は陰を代表する数で、六観音六地蔵・六道銭、黄泉を暗示しているのではないか?この年に災害でもあったのであろうか。年表上はさして大きな事件はないが、水害などがあり、百姓一揆などが頻繁に起こっていたようである。時の将軍徳川家重は暗愚といわれ、多少健康面に問題を抱えた人であったらしい。
異常気象の上に安定を欠く政治下、何者が此処に夜叉として封印されたのであろうか。。鬼面の怪物などではなく、外面似菩薩内心如夜叉(げめんじぼさつないしんにゃやしゃ)のことばどうりの絶世の美女がイメージとして浮かぶ。一際美しい紫陽花に興味を引かれ、調べたりしているのはもしかしたら。。。
元来が小心者ゆえ怖い話は苦手なのだが、余りの暑さに銷夏の読み物としてお勧めっていうんで手に取った書物に感化されて書いてみたが、なんかスズシイ。。百物語怪談会―文豪怪談傑作選・特別篇 (ちくま文庫)