人知らずの弱点

今日は立待月か居待月の筈だからもう云ってもかまわないだろうね。わたす実は満月が怖い。

幼少時から月好きだが、どこかの国が月面に着陸したとか、万博に月の石が来るみたいなことへの関心はとんとなく、「夢壊しやがって」とか思ってる変な子だった。

月の写真とかアップされてるのを見るのは好きだけど、満月の煌々たる光を浴びたりするのを嫌う。ちょっぴり狼人間の血でも混じってるんじゃないか?とか疑ってる

だからなのか、水鏡に映す月見など惹かれる。遊びめかしたその作法や、桂離宮とか銀閣の造化の中に見え隠れする直接の月光を回避する仕掛けなどにワクワクしてしまう。

その平素より高めのテンションに加え、引力との関係からなのだろうけど、平衡感覚がちょっとおかしくなったり、耳鳴りがしたりと静かにやりすごすに越したことはない時期なのだ。怠け者の言い訳か狂人の戯言か

 

寒い時の傷は別けても痛し

大気が乾いているので小庭の植物が気になります。私のずぼらの所為で春を迎えることのできなかった植物がどれだけいることかと思うと年年歳歳注意深くなり、水やりに精を出す。年とともにずぼらが直ってきたということなのだろうか?

否!臆病になったんじゃあないか? 仏心って奴に近いのかもしれない。

辞書で見ると、仏心っていうのは悟り深く、ものに迷わない心 とあり、そりゃ一寸違うだろ。 「悪漢が一寸仏心を出した」っていうのの仏心が近い。悪漢にとってのこころの隙、油断。間が差した感じ。うだうだ

ずぼらも怠け者もそうそう治る性格ではないので。。なんて考えてたら指先が悴んできて、何故か手の甲に嫌というほどの打ち身を食らった。みるみる紫に腫れあがって、異様に痛い!悴んだ手をアイシングするという馬鹿な事態になっている。ほんの一瞬仏心を出したばっかりに。。。それとも。。。

 

年端に

日記を書いた夢を見た。なので夢をかなえるべくキーを触る。
書く場がなきゃ、もうなんか考えるのも面倒くさくなり、放棄するのが目に見えている。さすれば此の年ではありますから、ボケは加速を極め、その聖域に立てこもったあかつきには、たちまちに入定の扉を閉じて…と決まりきった末期だけは避けたい。となれば、性懲りもない年端の誓いを立てるしかなかろ。何処へ引っ越そうかな。。。


年が変わり、初詣を終え、何の気なしにつけたテレビでやっていた「新・映像の世紀」を見てしまって思った。映像が映し出す惨い戦争の記録は戦争反対の啓発のためと言いうけれど、どこか神経をブロックしなきゃ見られぬほどのものだ。何処をどうブロックするのかはわからないが、悪夢を見ずに眠るために必要な麻痺がどっかで起こってる。もしかして無関心ということとどっかでリンクしているのではないだろか。不安になる
 

え!??

朝からのやる気がまずかったみたい。珍しい心境には何か良からぬことが含まれているらしい。
パタパタ立ち働いて一息つくと大きなくしゃみが立て続けに三つ四つ、さらにふたつみつ。出たかと思ったら鼻かみが止まらない。慌ててか風邪薬を服用するも顔の中心に渦を巻く鬱陶しさが去らない。風邪引いたかも。
やる気が前兆って。。・゜・(ノД`)・゜・。

ぐみ

AVRIL2018-10-22

淡く香る甘い匂いで寒茱萸(ぐみ)が咲いていることに気が付いた。

胡頽子これも茱萸と読む。

日本に15種くらいあるそうだがあまり種にはこだわりを持たれていない植物のようである。春咲きもあれば秋咲もあるが咲いたって殆ど目立たない。香りをひとり喜んではいるが、どこにも甘い香りの記載を見たことはないばかりか香りはないと書いてあるものすらある。
農家の庭に植栽されて秋に花をつけ、初夏、苗代を作るころに実が熟し食べられる。材は強靭であるために農具の柄とされたそうだ。どこまでも朴訥な植物なのである。実も微かにえぐみがあってそんなに美味いものではない。が春の銀色の新芽はそれはそれは美しい。

ほうじ茶

たねやの栗蒸し羊羹にほうじ茶。
秋の気配を感じると食器棚の奥にしまってある焙烙を取り出す。そしてじっくりと時間をかけて茎茶を煎るのだ。焦って焦がしてはならない。全体がちゃばんで薄い煙が立ってくると辺りは得も言われぬ香りで満たされる。この香り、浄化されるみたいで好きだ。むかし葉茶屋の辺りでよく嗅いだ香り。
煎りたての茶葉にぐらぐらの湯を注ぐ。澄んだはしばみ色のお茶は胃にも心持にも優しく好物の季節の甘味を引き立てる。あきだねえ