怒りについて

私が怒っている状態にあるというのは他の人にはわからないんだそうだ。
それを指摘した妹は「私だけにはわかる」と言ったが、この日記を始めて少し経った頃突如この世のものではなくなった。ということは沸騰せんばかりの怒りに囚われたとしてもそれを知りうるものはこの世にはいないということになる。。まるで「トロイ戦争は起こらないだろう」の巫女アンチゴーネの宣託(的中はするものの誰にも信じらない)のようだ。
私の怒りなんて誰に影響するでなし、故に困ることのある人は殆どいないので無視されて当然なのだろう。鎮めるものとておらんので本人が体を壊すまでこじらそうがうっちゃらかされている。湧く怒りを飲み込んで、また湧いて来れば飲み込んでを繰り返しているうちに悲しみの方が強くなる。
怒りとはどう説明されているのだろうと辞書を引いてみれば、典型的な情動の一つで、他者による妨害・障害・脅しなどの行為によって生じる。また、欲求が満たされない時に生じ妨げとなっている対象に向けて攻撃的な感情が高まり我慢できなくなって、一時に発散する状態をいう。 とある。
当てはまらない。私の場はいは多分、自分の知り合いにこんなデリカシ−いに欠ける所業をする者はいないはずだとつらつら思っていると、こんなお粗末な人を信用した己が許せないという考えに帰着して落ち込む。
怒りとは他者に向けた発露を持つものだということが今更理解し得たにしても時は立ちすぎているし、即効反撃に出れたとしてもなんか空しい結果が目に見えているような気がする。