百合

AVRIL2015-07-16

高砂百合であろうかと思われるユリが、去年見事な花を咲かせた。







気になる植物の種を採ってきては空いたところに撒くものだから春になればいろいろな芽吹きがあり、無作為であるが為に何の種の芽吹きであるかわからなくなっている。正体が知れるまで育つに任せ、知れたところで引き抜くのだが、高砂百合は花を付けるまでに三有余年謎であり続けたので開花した時のうれしいことと言ったらなかった。 
 
勝手なものでその感動も花の仕舞とともに褪せ、其の儘に置いたところ、いつの間にか立ち枯れた後から芽吹き、先年にも勝った丈に至って小さな蕾を持った。その蕾を付ける姿がすごかった。
翌年も花を望むなら植え替えが必要であるという知識は得ていたのに気力の湧かぬ儘成すに任せて居た。すると先月の末あたりから下から突き上げる様に、湧き上がるように、先端の若葉が猛烈な勢いで噴水の様に伸び出したのである。そして此方の怠惰を怒るがごとき圧倒的な意志を投げつけてきた。まるで百合から喝を得たかのようだった。
今年は少し小ぶりだけれど蕾は二つになった。秋には植え替えをするとしよう。