有栖川宮記念公園の梅
枝ばかりのころに見て、何時か花を見ようと思ったのは何年前のことになるだろう。梅は意志を持って今日という日に招いてくれたような気がする。
ぼっとしてるばあいじゃないけど
一大イベントが過ぎてしまって気抜け。
「前衛と韜晦」と題して四方田犬彦氏が花田清輝について講演するっていうんで、こんなわくわくはそうはないだろう!って、雪降る中出かけて行った土曜。いろいろ思うことはあるのだけれど。人任せはいけませんね!楽しみは継いでゆかなきゃ。。
韜晦とは才能などを包み隠すことという意味だが、犬彦氏は(猫かぶり)とルビを振った。解るようで解せないその意味が解けるかと思いきや謎のままなのは私の理解力の足らなさの所為に尽きるのだろう。
「転形期をいかに生きるか」という副題に期待した、日本中世史の話はなかったな。。なきゃ自分で掘ろう!
ん?
古沼の浅き方より野となりて薄の原に葦のひと群れ
三好長慶か
ちょと花見
先週末、出先からちょっと足を伸ばして梅の具合を見に行った。
いってきた
見れるなんて奇跡とは思うが、だからこそもう少し入場者多いと思ってた。。
空也蒸し
汁物のことを羹(熱物)とはよく言ったもので・・
カンの字は羊羹のカン、丸蒸しした羊が美味いということから成り立ってる文字らしい。勝手な連想になるけれど、羊羹って羊の煮凝りから来てるのか? ゲッ。。
さておき 汁物より蒸し物の方があったまるんじゃないかと思い、極寒のこの時期は茶わん蒸しをよくこしらえます。定番の具(海老 練り物 里芋 餅 青み)に味醂塩で味付けた出しで割った卵液を張る。客に出すでもないので家では一人前づつ寿司屋の湯飲みほどもある器で蒸すのが常。しかし本人が好物であるため、この時期とは言ったものの、屡々。。頻繁に。。夏冬問わず拵える。。。。しかし。。ほかの者があきたら。。こまる。。
目先を変えようと思っていたところ、料理番組で空也蒸しなるものを目にする。茶わん蒸しの具に豆腐を使ったものを空也蒸しというらしい。で早速作ってみるとなかなか旨い。テレビでは豆腐のほかに色々入れていたが、色々入れると茶わん蒸しとあまり変わらなくなってしまう。なのでうちのは絹ごし以外なんも入れず、銀餡を張りおろししょうがを落とすだけにした。これがまたその名に恥じぬ質素が旨いものとなった。なんでもいじりすぎないがよいとはこの年にして分かったこと
何で空也蒸しというかだが。。熱い豆腐が胃の腑に落ちると・・こんなだから 罰当たりが
寒いのだけど地の熱を感じる
数年前。満開に行き合ったときの写真。
— kotomi (@avril2nd) 2019年1月29日
梅ってこんなに咲いちゃうと香りはあまりしない。麻痺しちゃうのかな
香は、一月の半ばあたりの、いち二輪咲いたくらいが最高! pic.twitter.com/pyspcEiOMt
蚯蚓の戯言
うちの小庭は空中にあるので(ベランダ)植物はみな鉢植えである。それが暑さ寒さに弱い理由でもあるのだが、乾燥にもめちゃ弱い。底抜けに青い空が陰鬱に見えてきた今日この頃に、本日はもろもろと雲が出てきている。おりてこいよげかいに!
こういう育成条件ではあるが、蚯蚓は豊富。山野草などを手に入れるとついてくるのではないかと思っていて、今や一鉢に一匹はいるようだ。というより蚯蚓という生き物は共存が苦手らしく、増えると即違う居所を探すようで、ついに無人の鉢はなくなって、鉢外に身投げをするようになった模様。夏などに干物をよく見かけるのだが、乾燥が続く今日この頃にも数件の身投げがあった。しかし増えたせいではなく乾燥による危険を察知してのことらしい。「もはやこれまで、最後は青空の下、広い場所で!」と聞こえたような。。
雲は出てきたが降らないなこれは